こんにちは。医学生道場の代表医師の橋本です。
先日、ある医学生さんから、次のような質問を頂きましたので、ご紹介したいと思います。
医学生
「先生、医者ってやばくないですか?」
橋本
「お、凄い質問だねえ。どういう事だい?」
医学生
「いや、医学に入って、責任とか考えるようになって、徐々に医者ってやばい仕事なんじゃないかって思うようになったんです。」
橋本
「なるほど」
医学生
「今まで私は、正直な所自分の事しか考えて生きていませんでした。でも、医学の勉強とか、実習とかやっていて、人の命や身体や心を扱う仕事って、下手したら全部壊しちゃうかもしれないじゃないですか。そう考えれば考えるほど、責任感をどんどん重く感じるようになりました。正直言って、すっごい怖いんです」
橋本
「ごもっともな意見だ。俺もそれに気づいてから、二年ぐらいずっと何かが心に重くのしかかっていたよ。今の段階で気づくなんて、とても素敵な心の持ち主だ」
医学生
「へへへ、そうですか(*´▽`*)でも、怖いものは怖いです」
橋本
「よし、今日は医者の責任感についての話をしようか!」
医学生
「お願いします!」
橋本
「題して、イッシょにイッシょう懸命にイシの責任感について語る会だ! イシャシャシャシャ(≧▽≦)」
医学生
「もう全然、責任感ゼロじゃないですか(-ω-)/」
ということで今回は、医学生や医師が必ず考える話、「医師の責任・責任感」についてお話したいと思います。ちなみに、このコラムに辿り着いてくれた時点で、あなたはとても素敵な心の持ち主です。責任感について真剣に悩んでしまっているあなたは、是非楽しく読んでくださいね(*´▽`*)
目次
まず、責任感に関して、私のところに相談に来てくれる医学生の、真剣な言葉をリストアップしてみたいと思います。
「一生、勉強していかなきゃいけないって本当に良く理解できました。だから疲れました。もういいです」
「自分は医者にふさわしいなんて事は絶対にありません。自分は自分を大切にしたい気持ちがあります。人に比べて責任感は薄いです」
「私より、もっと責任感のある人が医学部に入ってほしかった」
「あまり医師の仕事について真剣に考えていませんでした。甘かったです」
「医師の責任が分からない。訴えられてる人が沢山いるみたいで、怖い」
「浪人して色んな人に迷惑をかけて入ったのに、辞めたいなんて口が裂けても言えない」
「自分が将来医者になっているイメージが全くわきません。医者として一生働きたいなんて微塵にも思わない」
「私はそんなに強い人間じゃないんです!」
「身内の期待が重すぎる。友達がノー天気に遊んでいるのに腹が立つ」
医者になった人のほとんど全員に、頭をよぎった経験があると思います。私自身、相談を受ける度に「そんな風に悩むことがあったなあ」と思います。
さて、本題に入りましょう。このコラムでは他のホームページとは違い、切り口を変えて「法的・論理的」な責任感についても考えてみましょう。
責任感について考える前に、法律面での「責任」(法的な責任)について知っておく必要があります。
まず、責任は「診療契約」の際に生じます。病院は医療を提供(診療行為)し、患者さんは対価としてお金を払いますよ、という契約です。ここに、医者の責任が発生しています。
しかし、ここで一つ大きな問題があります。
それは、どの診療行為に対して、どこまでの責任があるのか、という大切なことを、きちんとまとめられて明記されたものがないことです。これは普段の生活ではありえないことです。例えば、口約束でさえ、「コンビニで弁当買ってきてくれない? おつりの300円はあげるからさ」というように、責任と対価がある程度はっきりしているのが普通なのです。
しかし、診療契約ではそうはいきません。なぜなら、そもそも物理的に、性別、年齢、生活習慣、仕事、職場の環境、普段の睡眠サイクルなど、人によって大きな違いがあります。そんな多種多様な人間に、共通の責任範囲を指定することは不可能だからです。そのため、法律的に、責任自体の定義が曖昧になっているのです。
さらに付け加えると、もしそのような「完璧な基準」ができたとしても、日進月歩の医療の世界では、すぐに古いものになってしまいます。明日にはすぐに過去の間違った医療になるなんてことは、良くある話です。
まとめます。診療契約と言うのは、「神のみぞ知る」その患者さんの未来を、「神ではない」医師が手を加える契約を結ぶというものです。
どんな結果を保証できるというのでしょうか。そこに「ここまではしっかりできますよ」なんて責任は、無理に決まっているんです。
ちなみに、ちょっと難しい話になるんですが、診療契約は、結果を保証する「請負契約」ではなく、プロセスを大事にする「委任契約」となっています。医療では、「曖昧なままでも、きちんとやることでお金をもらっていいですよ」というのが法律の立場なのです。
繰り返すと、「曖昧なまま、きちんとやれよ」というのが、法律上の責任なのです。
それらの理由で、医師は責任が明確になっていない状態で医療をしなければなりません。結果は保証できませんが、やれることを精一杯やります、という契約です。辛く感じる医学生や医師も多いかもしれませんが、これが日本の医療であり、法律です。
責任については概ね理解できたと思います。それでは「責任感」について考えてみましょう。
ちなみに私、医師免許を取得してからも、医療訴訟について本当に本当に勉強しました。
医療の制度や医療崩壊、それらの成功例や失敗例、判例、海外の医療の仕組み、などなど、手探りではありましたが、色々なことを勉強しました。その上で、「医師としての責任感」という私の結論は、少し情けないものでした。
なんて情けない、、、。ですが、これが私の結論です。
医師として働き、色々な患者さんとだけではなく、色々な先生方と話すことで、私の中で「責任感は何か」、という問いに対して、正しい正解や答えが無いのだと思ったのです。それぞれの医師が、それぞれの価値観で考えて、決めるものではないかと考えています。
しかし、これで終わりではちょっと寂しいので、私の周りにいる医師の責任感の形を紹介したいと思います。あなたが理想の「責任感」を考える参考になればいいなあと思います。
「もし自分がその病気だったら、全力で治さなきゃって思うじゃないですか。
その気持ちを持って、患者さんに接してあげることが重要だと考えています。まるで自分のことのように。治る可能性は低いかもしれないけれど、なにがなんでも治してあげたい気持ちです。
もし方法が分からない場合には、嫌いな先生にも頭を下げて相談します。私は学生の時以上に図書館に行くようになりました。その患者さんの不安な気持ちを解消してあげたくて、治せなかったとしても、朝も夜も回診して病棟に顔を出します。それが責任だと私は思って、医療を続けています」
「当たり前ですが、出来ないことを約束できません。私や病院が出来る範囲を、しっかりムンテラ(※面談)で伝えます。
ムンテラでは、その時に意味のあるであろう治療の選択肢と、それをした時に想定されるある程度の結果を、事前に説明します。
初めのうちは分からなかったことですが、背伸びしても、後から誰も喜ばないことを知っています。相手の気持ちをしっかり考えて、空気を読みながらも、はっきりと自分が出来る範囲の事を伝えるのが、私の責任感です。厳しいことを言うようですが、もし医療で出来ることに限界があるのであれば、それを受け入れてもらうほかありません」
「本当に多くの癌の末期の患者を診てきた。確かに、上っ面でも話術があれば、ある程度の患者が救われることも知っている。けれど、癌の患者にむかって、どんなにきれいごとを言ったとしても、その患者が本当に救われるのは「癌が治ったとき」だった。だから、我々外科医の責任感は「技術を磨き続ける」ことだと思う。出来れば神の手になりたい」
「責任感なんて、考えていたらおかしくなっちゃいます。人にはあまり大きな声で言えませんが、責任について考えないようにするのも、私のための一つの手段かなと思っています。だから、なんとかメンタル病まずに続けられている気がしています。患者さんの側から考えると、私がニコニコ笑顔でいることが、患者さんの安心感につながることを知っています。将来どうなるかなんて誰にも分からないんですから、不安ぐらいは消してあげたいなと。だから、もし責任感について言うのであれば、私が笑顔でいることです」
「いやー先輩もまた責任感なんて面倒な事考えてますよね。俺なんてそんなに頭良くないから、頭使わないで身体使ってますよ。楽しい時に楽しい、辛い時に辛い、怖い時に怖いってのが、人間らしくっていいじゃないですか。出来る事やるだけ。うん、シンプルイズザベスト!あ、先輩うちの病院で真剣に働きませんか?ブラックですけど(=゚ω゚)ノ」
さすが、わが後輩。会話にならんかった(´・ω・`)というわけで、様々な形の責任感があります。このコラムが、あなたが責任感について考える、一つのきっかけになったら嬉しいですね。
※関連コラム「医学を楽しく勉強できるようになる、具体的な方法!」
相談するのが遅くて手遅れになることはあっても、早くて問題になることはありません。お困りの方は早いうちにご相談ください。
医学生道場 代表医師 橋本将吉